放浪の先に戻った、築150年の実家
奈良県宇陀市・榛原。観光地とは言い難い静かな土地に、全国から蕎麦好きが足を運ぶ一軒の店がある。それが「一如庵」だ。
店主の桶谷 一成(おけたに・かずなり)氏は、この地で生まれ育ち、19歳で家を出た。
「もともと本家の長男という立場が正直嫌で、19歳で家を出て、あちこち放浪していました」
30歳前後になり心境が変化し、久しぶりに戻った実家は空き家になっていたという。
「一度、人生をリセットしよう」と考えたとき、知人から勧められたのが蕎麦屋という選択だった。
そうめん文化の土地で、あえて蕎麦を選ぶ
風情を感じる「一如庵」の看板
この地域は三輪そうめんの文化が根強く、朝からそうめん入り味噌汁を食べるほど麺に親しんだ土地。一方で、蕎麦文化はほとんどなかった。
「だからこそ、やる意味があると思ったんです」
ラーメンが好きで麺類のアルバイト経験もあった桶谷氏は、自ら長野県庁に電話をかけ、修行の道を切り開き、
車中泊をしながら2週間そば打ちを学び、その後半年後には正式に雇われ、約3年にわたり複数店舗で修行を重ねたという。
DIYでつくり上げた「一如庵」という空間
画像からも伝わる古民家の雰囲気
宇陀に戻り、空き家だった実家を自らの手で改修。駐車場整備から内装まで、ほぼDIYでつくり上げたのが一如庵だ。
「今テーブル席になっている場所は、もともと五右衛門風呂があったところなんです」
石垣も自ら積み、妻の父親である大工の協力を得ながら、お金をかけず、あるものを活かす空間づくりを徹底。
余ったサッシを友人から譲り受けたり、黒竹を自分で切って床の間に飾ったりと、店内の随所に“手仕事”の痕跡が残っている。
「わざわざ来てもらう」ための覚悟
ミシュラン掲載時は問い合わせも殺到したという
「ここは観光地ではないので、わざわざ来てください!という場所でもないんです」
開店当初は集客に苦労したという。どうすれば“来る理由”をつくれるのかを考え続けた。
転機となったのは口コミと、2011年頃のミシュランガイド掲載。事前連絡もなく、突然花が届いて初めて掲載を知ったという。
「今は蕎麦屋に星は出ないんですけどね」
見た目は二八、実際は“ほぼ十割”の蕎麦
ほぼ十割の一如庵名物の蕎麦
一如庵の蕎麦は、見た目こそ二八に見えるが、実際はほぼ十割。
殻付きで挽く黒い蕎麦、殻を取って挽く白い蕎麦、それぞれの特性を理解したうえで、湿度や石臼の状態まで見極めながら打つ。
「十割で、もちっとしてツルっとした喉ごしを出すのが一番難しい」
梅雨時期には石臼が結露し、粉がつながらないこともある。その場合、0.3%ほどつなぎを加えることもあり、「ほぼ十割」と表現している。
もりそばは北海道・茨城産を使用し、コースでは産地や生産者の異なる蕎麦を組み合わせる。
蕎麦以上に目当ての人もいる「原木椎茸の箱寿司」
季節毎に入れ替わる特別メニュー
一如庵の名物として知られるのが、原木椎茸の箱寿司。軸まで余すことなく使い、単品でも注文が絶えない一品だ。
「蕎麦より、これ目的で来られる方もいます」
椎茸は自家栽培ではなく、菌種や風土を見極めたものを目利きで選んでいるという。
20周年を迎えた古民家と、返礼品「バスハーブ」
お清めに最適なバスハーブ
築150年以上の家で、まもなく20周年を迎える一如庵。ふるさと納税返礼品として提供しているのが「バスハーブ」だ。
「合併前の宇陀郡を、ひとつにつなげたかった」
龍穴神社のある“室”、薬草の街“大宇陀”。龍(水の神)から生まれた薬草という物語性を重ね、「お清め」をテーマに開発された。
蕎麦屋とは一見無関係だが、「根っこではつながっていると思っています」と語る。
“整える”という価値を、現代の暮らしに
蕎麦屋の丁寧な仕事がつくりあげるバスハーブを語る桶谷氏
月桂樹など地元産オーガニック素材を使い、滝行の代わりのように心身を整える“お清め浴”として提案。
「大晦日や、試験前のような節目に使ってほしい」
龍穴神社参拝後に購入する人も多く、「内と外から清められた気がする」と語る来店客もいるという。
無理をしないオーガニック、続けられる未来
古民家の癒し空間から生まれる返礼品
「頑張りすぎないことが、続けるコツだと気づきました」
思いついたことはやる主義で、今後はヨモギ関連商品や「うだうだくんアイス」構想もある。休日は木工や野草採り、自然と向き合う時間が最大のリフレッシュと語った。
「自然に触れるのが、一番ですね」
まとめ|わざわざ行く理由が、ここにはある
「一如庵」正面
観光地ではない宇陀で、「わざわざ来てもらう価値」を20年かけて育ててきた一如庵。
蕎麦、空間、返礼品、そのすべてに共通するのは、自然と向き合い、自分の感覚を信じる姿勢だ。
静かな里で味わう一杯の蕎麦は、きっと身体だけでなく、心まで整えてくれるはずだ。