建築会社が、なぜ農業へ向かったのか
「株式会社類設計室」小川泰文氏
類設計室は1974年に設立された建築設計会社だ。現在は建築設計を軸に、教育事業、農園事業という三つの柱を持ち、「活力ある社会をつくる」という理念のもと、事業を展開している。
農園事業部が立ち上がったのは1999年。バブル崩壊、阪神・淡路大震災など、社会不安が連続した時代だった。日本の農業は人口減少や担い手不足、自給率低下といった構造的な課題を抱え、戦後の個人農家中心の体制は限界を迎えつつあった。
「評論家のように外から批評するのではなく、自分たちでやってみようと思ったんです。食は人の活力の根幹ですから」
そう語る小川氏。企業が農業を牽引する時代が来る——その仮説を、自らの実践で確かめるための農業参入だった。
宇陀との出会いは「縁」から始まった
結果的に理想的な場所だった宇陀市
農業を始めるにあたり、宇陀市に特別な縁があったわけではない。大阪に本体を構える類設計室は、通える範囲で農地を探していた。しかし当時、企業の農業参入はまだ珍しく、受け入れ先を見つけるのは簡単ではなかった。
そんななか、理解を示し、土地を貸してくれたのが宇陀市だった。
「よそ者を受け入れてくれた、その懐の深さが大きかったですね」
結果的にこの立地は、今の構想と見事に噛み合っている。大阪から電車で約1時間、車でもアクセスしやすい中山間地。都市と農村をつなぎ、流通・教育・体験を重ねていく拠点として、宇陀は理想的な場所だった。
「農と学びの協奏拠点」という新しい発想
2026年オープン予定の『VUTAI』
現在、類設計室が宇陀で展開している施設のコンセプトは
「農と学びの協奏拠点」。
26年にわたる農業の歩みは、「つくる」段階から、「売る」「つなぐ」段階へと進化してきた。2014年には大阪に直売所を開設し、自社農園の作物だけでなく、地域の農産物も都市へ届ける流通の拠点となった。
その次のフェーズが、「地域そのものをどう活性化するか」という問いだった。
就農者を増やすだけでは、人口減少に歯止めはかからない。独立就農は起業であり、誰にでもできるものではない。一方で、農と関わりながら別の仕事も持ち、段階的に地域に関わる人を増やす道はあるのではないか。
この施設は、観光拠点ではなく、課題やプロジェクトをともに考える仲間が集まる場として位置づけられている。
教育と農業が交差する現場

教育事業に農業を組み込む独特のプログラムを展開
類設計室の強みは、教育事業を持っていることだ。
探究型学習を軸にした合宿プログラムでは、中高生や企業、学校が数日間滞在し、地域の農業や暮らしの課題を住民にヒアリングし、解決策を考える。
また、不登校の子どもたちを対象にした全日制プログラムでは、勉強だけでなく、農業や仕事を通じた共同生活を経験する。
農作業を通じて人との関係性を取り戻し、前向きに変化していく子どもたちの姿も少なくない。
「育てる、つくるという体験は、人を内側から変える力があります」
農業は、単なる生産活動ではなく、人を育てる教育の現場でもあるのだ。
土・水・気候——宇陀という土地の力
火山地帯特有の土壌をもつ宇陀
返礼品としても人気のメロンや米。その品質を支えているのが、宇陀の自然条件だ。
宇陀は源流域で、他地域から流れ込む水がない。地下水は清らかで、研究者からは「還元力が高い水」と評価されたこともある。抗酸化力の高い作物が育つ背景には、この水の存在がある可能性が高い。
さらに、宇陀の土壌には金雲母を含む特徴がある。ミネラルを豊富に含むこの土が、宇陀野菜のおいしさを支えている。火山由来説や、薬草の産地として栄えた歴史とも重なり、土地の記憶が今の農業につながっている。
宇陀米ブランドと、地域協議会という仕組み

宇陀米
米づくりでは、宇陀の農家とともに「宇陀米ブランド化協議会」を設立。全国ブランド米と同水準の品質基準を設定し、粒の大きさや食味値まで厳格に管理している。
特徴的なのは、類設計室が主導するのではなく、農家・行政・技術指導機関が連携して運営している点だ。
ブランドは「つくる」ものではなく、「育てる」もの。その姿勢が、この取り組みに表れている。
農業は、人と地域を再編集する仕事
『VUTAI』はまさにその理想を実現できる施設になりそうだ
今後は、宇陀を「オーガニックヴィレッジ」として発信し、有機野菜の定期便や教育プログラムを返礼品にする構想もある。農業を起点に、人が動き、学び、関係性が生まれる循環をつくる。
「物流だけでなく、人のハブになりたいんです」
農業は、作物を育てる仕事であると同時に、社会のかたちを耕す仕事でもある。類設計室の取り組みは、その可能性を静かに、しかし力強く示している。